三城 雄児(みしろ ゆうじ)
1975年6月20日神奈川県鎌倉市生まれ
兎年、ふたご座、エニアグラムタイプ9
父親の転勤などで、鎌倉市→藤沢市(神奈川県)→茨木市(大阪府)→藤沢市→横浜市戸塚区(神奈川県)と様々な場所に住む。
高校生までは、卓球に熱中していたが、高校三年生の時に心臓に不整脈があることがわかり卓球の人生を挫折、同時に突然死のリスクを知り、人生を大切に生きようと決意。
卓球を挫折後は、部活の顧問として世界を目指そうと、教職を目指して勉強を開始。
一年の浪人生活を経て早稲田大学政治経済学部に合格、高校公民(政治経済)の教職課程を教育学部で受講。
1995年に早稲田大学政治経済学部経済学科卒業(国際人的資源管理論、白木三秀ゼミ)。
在学中に母校での教育実習を申し込むが、このまま先生になっても、社会のことを知らない先生になってしまうと思い、一度、社会に出てみようと決心、就職活動を開始。
1999年4月富士銀行(現みずほ銀行)に入行、新宿西口支店にてOJT後に外為渉外担当として、外国取引のある企業の融資業務を担当。当時の都市銀行は、不良債権問題を抱えており、多くの取引先に融資の打ち切りなどを間近で経験。
銀行を辞め、ベンチャー企業で組織人事戦略コンサルティングの仕事に出会うが、会社にノウハウはなく、すべてをゼロから考えて実行。東京駅でセミナー講師を捕まえて「コンサルってどうやるのですか?」と喫茶店に連れ込み助言をもらうなど、20代の僕はとてもハングリーだった。
その後、成果主義の人事制度を得意としているコンサルティングファームに転職。成果に報いる報酬制度をいれても、組織が良くならない体験から、一人ひとりの意識の変容を組織の文化の変革が必要と気づく。
現在は、会社員として所属しているコンサルティングファームに転職。組織人事戦略のコンサルティングチームを実質ゼロから立ち上げて事業化する。
資本関係がかわり、自分自身の会社がお客さまの競合会社になってしまうことがわかり、お客さまの仕事を継続すべく会社設立して独立。他に選択肢がなく、消極的な気持ちで独立開業を果たす。
2009年7月7日、晴れた七夕の日に、株式会社JIN-Gを創業(当時の名称は、エクスピリットパートナーズ株式会社)。
2010年4月1日、兼ねてからの夢だった教員の道が開かれ、ビジネス・ブレークスルー大学経営学部准教授に就任。
会社経営者と大学教授の2足のわらじで、忙しくも楽しく事業を展開。
経営していた会社で立ち上げた海外研修ミッション・コンプリートが、「日経ビジネス」で特集されるのをきっかけに、テレビ東京系列の「ガイアの夜明け」など、様々なメディアで取り上げられ、事業が拡大。
事業拡大とともに、会社も大きくなり、取締役2名を迎え、インターン生も含めると20数名を超える組織に成長。メンバー全員で、拡大路線の事業構想をつくりあげる。
成長を目指すと同時に失速。売上が下がり始める。
2年間で7000万円の赤字計上、すぐに資金繰りが苦しくなる。
負債1億円を抱えた状態で、明日の資金が確保できない状態に陥る。
多くの取引先、パートナー企業、みんなに迷惑をかける。
謝罪と金策の日々。謝罪が間に合わず、多くの方々に犯罪者のように思われ、会社をつぶさないためにも追加の謝罪と説明の日々。社会保険事務所にも怒鳴られて𠮟られ、苦しかったはずだが、苦しいという気持ちよりも、なんとかしなきゃという気持ちが強く、自分のことはすべて後回しにしていた。
大学では経営も教えているし、このまま崩れてはならないと、みせかけの元気を振り絞って経営を継続。この時期、多くの詐欺師に出会う。
すべて自分のせいだと思ったし、絶対にこの境地を乗り越えなければという責任感だけで頑張っていた。そんなとき、寄り添ってくれる人がいると、だまされやすい。
社内メンバーから訴訟を受けたり、警察や労基署に通報されたり、様々なことがあったけれども、一つひとつに対応。幸い、裁判官も警察官も労基署の人も、僕のことを信じてもらえて事なきを得たが、これらを起こすのもすべて自分のせいだと思った。
尊敬する取引先の役員から、「三城さん、事業は失敗してもゼロになるだけで影響は大きくないけど、人については上手くいかないとマイナスをつくるから、気をつけなさい」と助言をもらう。このとき、詐欺師にも騙されていたので、しみじみとアドバイスを受け入れた。
この頃、天外塾に出会い、「考えない、判断しない、行動しない、感じる」という助言に救われる。
最後まで残ってくれていた社員6名が僕と僕の会社を救ってくれて、自己破産や倒産をせずに会社は存続。
多くの人たちを巻きこんで、課題は手を変え、品を変え、僕の前にあらわれていましたが、「考えない、判断しない、行動しない」を実践してからは、それらに巻き込まれることが皆無になった。
日々を自分自身の思考のとらわれに影響されずに生きる。この頃、燃え尽き症候群のようになっていた私は、サウナにいき、サウナに入るよりも、水風呂に浸かる時間の方がながくなっていた。水風呂の中で、身体がピリピリするまで、完全に冷え切るまで過ごし、そのまま意識朦朧でベンチに座り、世の中と自分との境界線もわからなくなるような世界で、思考が飛んでいく感覚が好きになった。
いま思い出せば、この状態になる前の僕は、常に挑戦、常に努力、常に問題解決、頭の中はいっぱいいっぱい、一度、脳波をとってもらったことがあったが、「三城さん、ブレーキを全力で踏みながら、アクセルも全開にしている状態ですよ」と、脳がリラックスというのを知らず、常に動き続けている、身体もカチコチ。よく、当時の社員からサイボーグと呼ばれていたが、まさにそんな感じだったのだと思う。
力が抜けた僕は、その後、自然体で、流れに任せていきるようになっていった。
すると、会社の業績は急回復、翌年には過去最高益を記録し、支払えていなかった税金や社会保険料などを完済。なんとか会社倒産の危険性は薄くなっていきました。
しかし、まだ負債は溜まったまま、多くの返済しなければならないものが残っていた。
会社は奇跡的にも生き残り、継続しています。ここに意味があるのではないかと考えて、事業は継続していた。「考えない、判断しない、行動しない」でやっていると、自然に自分自身のその時にあった出会いがあったり、仕事が舞い込んできたり、知らないうちに、会社の業績は上向いていきました。
2025年6月末には、会社に残っていたすべての負債は完済。無借金経営に戻すことができた。
さて、ここから何をしていこうか、いまJIN-Gは過去の経験を活かした新しい境地に、ほのかに、力をいれずに進んでいるように思います。